夜の騎士のあれこれ噺

世の中にはあれ?これ?と思うことがいっぱい。

「緑のはだの」秋の遠足 ~鶴巻温泉周辺の名所・史跡を訪ねて~

本日は「緑のはだの」メンバー男性Mさん、女性Nさんと私の3人で、

私の地元「鶴巻温泉周辺」の名所・史跡を訪ねて散策をしてきましたので、

訪問順に簡単に紹介します。当初は歩く予定でしたがMさんが車を出して

くれたので効率よく回れました。はてなブログには画像が数枚しか

挿入できないようなので主なものをピックアップしました。.あわせて

各見学地で同行したNさんが詠んだ短歌も掲載させてもらいました。

 

 ①落幡村村名保存碑

 鶴巻温泉駅北口から徒歩10秒にあるこの地の旧名「大住郡落幡村」名の保存碑

矢倉沢往還道(伊勢原市

 奈良時代に開かれた古東海道大山街道とも呼ばれた。

  *パキパキと枯れ枝踏んで枯葉ふむ矢倉沢往還に人影見えず

③夜泣き石(伊勢原市

 昔、旅人が行き倒れここで絶命し、以来夜中にこの石の辺り助けを求める声が!

   *「夜泣き石」馬頭観音と並びたり行き倒れし人が夜な夜なを泣く

④導水トンネル

 善場川より大住台の水田に水を導くため農夫飯塚亀蔵さんが堀った200mのトンネル

   *下記の画像の短歌について作者か変更連絡ありました。

    昭和初期導水トンネルを穿ちたる村人の腕の太さを思う

⑤神代杉(埋もれ木)(伊勢原市

 洪積世の後半に善場峠の大森林が大洪水で流され、善場川に埋没している。

    *旧石器時代洪水に流されて埋もれし杉の巨大な骸

⑥善場太郎のちから石(伊勢原市

 この地の豪族「力自慢」の善場太郎がこの石に下駄で上がり、力をいれたら

 日本のスジがに残ったとの伝説

⑦箕輪駅跡 

 古東海道の駅跡。この地は古くから交通の要衝になっていた。

   *奈良よりの官道貫く箕輪駅馬のいななきは曇天に聞く

⑧清水左近の墓所

 徳川11代将軍家斉の侍医を務めた清水左近源元琳宜珍と宜篤ほか一族の墓所

梵天様の碑

 出羽三山の修験者がこの地で倒れ、この地で世話が出来なかったことを悼み

 碑を建立 

   *修験者の環り得ざりし湯殿山はるかに梵天さんは縁(えにし)をつなぐ

⑩陣屋旅館

 大正7年三井財閥御寮(別荘)「平塚園」として、鎌倉時代の武将和田義盛

 の陣地の跡地に顧客接待用にスタート。将棋のタイトル戦が良く開催される。

⑪落幡神社

 1874年(明治7年)大住郡落ち幡みずみずとしての無格社を合祀して落幡神社とした

    *箒目のていねいに残る境内に中将姫の幡のまぼろし

⑫鶴巻の大けやき

 県下で最も太いケヤキで「かながわの名木100選」樹高30m、胸高周囲10m

 樹齢600年

    *大きな枝伐られしケヤキ「大エノキ」蟻一匹の何をか探す

    *剥がれたる樹皮にも生命の痕跡のみずみずとして大ケヤキ老ゆ

 第⑬延命地蔵

 総丈3.3mで路傍の石仏像として、他に類を見ない大きさ

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昭和初期導水トンネルを穿ちたる村人の手の太さを思う

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善場太郎が大岩踏みし下駄のあと心眼に見よというほどかすか

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剥がれたる

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根府川よりはるばると来し地蔵尊ずっしり座るここは鶴巻