1991年(平成3年)に芥川小を受賞した作家「辺見庸(へんみ よう)」さんの講演会に行ってきました。
主催の第一マネジメントセンターがどんな団体か解りませんでしたが、会計事務所の団体で、団体内の
内部勉強会として人権・憲法を考える勉強会を続けていたが、やがて外部の講師を招いて、より高度な
知識を得ようということになり、どうせなら外部の人にも自由に聞いてもらう講演会に発展して、現在では
毎年憲法記念日の直近に有名講師を招き入場無料の講演会を開催することなったそうで、今回が48回目
の開催だそうです。
ワタシは初参加ですが、九条の会・はだののメンバーも5人が参加し会場は溢れんばかりの聴衆が押し掛け
補助イスをセットするため開会を遅らせたほどで、かなり定着してる講演会のようでした。
今回の講師は作家の「辺見庸」さんで、演題は「世界はいま一人の”狂人”を必要としている」
辺見さんは共同通信記者出身で外信部のエース記者として海外取材で活躍した後、執筆・講演活動
で活躍してる人で、私の事前知識では昨年の彼のブログで下記の過激な表現があったことで
大炎上したことに大いに興味を持っておりました。(私は直接彼のブログを読んでいないので、ネットから
引用しました)
「やるべきときには何もやらずに、今ごろになってノコノコ街頭に出てきて、お子ちゃまを神輿に
のせて担いではしゃぎまくるジジ、ババども、この期におよんで『勝った』だと!?」
「いったいどこの世の中に、気にくわないデモ参加者の物理的廃除を警察にお願いする
反戦平和活動があるのだ」
シストどもよ、安倍晋三閣下がとてもよろこんでおられるぞ」
「おい、大江(健三郎さんのこと)、このクニに戦前も戦後も一度だって民主主義なんてありえた
試しがないことぐらい知ってるだろう」
「揃いの字体のプラカードをぶら下げてた無害なヒツジさんたち数万頭で、(略)ミンシュテキに
包囲し、メーメーメーメー鳴けばよいというのか」
「傘をさすとしずくがかかって人に迷惑かけるから雨合羽で、という「おもいやり」のいったいどこが
ミンシュテキとなのだ。ああ、胸クソがわるい」
確かに、我々市民運動するものにとってはラディカルな発言ですね。辺見さんがなぜ」このような
発言をしたのか?発言の真意は?について辺見さんがどのような話をするのかを知りたくて
今回の講演を聞きにいきした。
中国戦線で自分の親が出征し、現地で殺戮、強姦、強奪、破壊等に参加したはずなのに、そのことについて
ついに話を聞く機会を持たなかったことがトラウマになり、日本国民は識字率は高いにも
関わらず、「真実」に目を向けることからを避ける国民性があるのではないか。(自分がそうだったから)
真実に目をつぶった事が、昭和天皇の戦争責任をメデイアと日本国民自体があいまいにしたことが、
戦後の道徳の退廃の大きな要因になったのではないか?
その例として、1975年10月31日に訪米帰国時の昭和天皇の記者会見での言葉を問題視してました。
Q:「天皇は先の戦争責任についてどう考えますか?(勇気ある外国人記者の直球質問)
A:「言葉の「あや」については研究していないのでお答えしかねます。」
Q:「広島への原爆投下についてどのように考えておられますか?」(勇気ある中国新聞記者)
A:「戦争中であるから、広島市民には大変気の毒なことであったが、やむを得なかったと考えている」
この答弁に対し、メデイアは号外ひとつ発行せず、国民もまた反発するチカラがなかった。
批判しただけで、メデイアも国民も見過ごした責任は大きいと辺見さんは言ってます。
このことが起点となり「なにものかに押され、なんとなく流される」国民性がより顕著になったとの
見方をしてました。
また現行憲法は占領軍から草案作りを指示された松本国務相のチームの二つの試案いずれもが
して受け入れたとする説をとってました。
と引き換えに幣原首相は「国体保持(=天皇制)」を維持するというのが真意だったとの見方ですね。
ですから九条と国体保持(=天皇制)は裏表だと・・・
まあ、ワタシは辺見さんがどのような反戦、九条を護る活動をしてきたのか知りませんけどね。
本日は鶴巻温泉駅頭でのチラシ撒きと「戦争廃止」の署名集めでした。
参加は14名(駅頭11名、周辺ポステイング3名)、協力いただいた署名は22筆
先日、はだのとして一旦締めて九条の会本部に送付した署名が1、905筆、その後世話役に届いたのが
15筆程度、本日22筆ですから、総計で2000筆突破も見えてきました。
辺見さんが我々の活動を批判的にみていようが、私達は最大の暴力である戦争廃止を市民に野党に
求めてるワケですから、あくまで「非暴力」で合法的な手段(違憲裁判、選挙闘争」で廃止を訴え続けます。