夜の騎士のあれこれ噺

世の中にはあれ?これ?と思うことがいっぱい。

日本にはない「抵抗」の文化

日本を訪れていたノーベル文学賞受賞作家のスベトラーナ・アレク
シェービッチさんがフクイチ被災地を視察した後の感想と、外語大との
学生への講演と対話で残した言葉が印象に残りましたので、ここで
確認をしておきたいと思います。

「国というものは、人の命に全責任を負うことをしない」
「日本社会には、人々が団結する形での『抵抗』という文化がないことだ」
「祖母を亡くし、国を提訴した女性はその例外。同じ訴えが何千件も
あれば、人々に対する国の態度も変わったかもしれない。全体主義
長く続いた私の国(ベルラーシ:旧ソ連)では、人々が社会に対する
抵抗の文化を持っていない。日本に抵抗する文化がないのはなぜ
なのか?」

私が市民運動に係るようになって、一番感じたのがそれですね。
私たちの訴えに「無関心を装う」人のなんと多いことか。

封建時代からの「生かさず、殺さず」政策によって「お上には逆らうな」
「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれろ」「出る杭は打たれる」
の洗脳、戦後はGHQの意を受けたマスメデイア(特にテレビ)によって
闘う前から「あきらめる」ことを処世訓としまう生活が身について
しまわされたことを、来日して数日のスベトラーナさんに見抜かれて
しまいました。

それでも封建時代の初期には暮らしが出来ない苦境から、農民が
止むにやまれず蜂起した「なんとか一揆」というのが各地で発生して
オカミにもの申してたこともありましたけど・・・

いまや労働組合も闘う労組だった総評が御用組合の「連合」に吸収
されてからはストの一本も打てない状況となってしまいましたからね。

日本はまた「反省しない文化」も特徴ですね。

歴史を美化するばかりで「歴史の闇」をしっかりと振り返らない。
ドイツはヒトラーユダヤ人虐殺を徹底的に反省し、それを踏まえた
教育を小学時代から教え込むのに、日本は太平洋戦争はアジア
植民地解放のための「正しい戦争」だったと、なんとかいいくるめ、
再び戦争が出来る国に持っていこうと画策してるありさま。

なんにも反省してません。これでは、先の戦争で犠牲になった三百万
を超える人々が浮かばれません。

評論家の大宅壮一が喝破した「テレビは日本人を総白痴化」するが
「自分の頭で考えて行動する日本人」の数を減らしてしまいました。

あきらめ言葉の「しょうがない」を止めて、怒りの言葉「とんでもない」
に変えていきましょう!

    ☆動画   講談「チェルノブイリの祈り」(導入部)  神田香織

          スベトラーナ・アレクシェービッチさんの作「チェルノブイリの祈り」
     を神田香織さんが講談化し、彼女の代表作となっています。


     ☆動画   お時間を許す方は、こちらもどうぞ