リカから九条へ」(シネ・フロント社刊)という本は、久しぶりにこころを熱くしてくれる本でした。
等々世界60ケ国以上での取材経験をもち、特に中米、南米事情に明るいかたです。
冒頭に紹介した本は、日本と同じく「軍隊を持たない憲法を持つ」世界でたった二つの国である
くれています。
ちょっと長くなるかも知れませんが、どんな内容か抜粋で紹介させてもらいます。
*ここから抜粋
憲法違反の訴訟を起こすことによって、例えば学校に柵ができる。それで子供のケガが少なくなる。
憲法違反の訴訟を起こすと云うことは、社会を良くすることになる。そのためには国がお金を出す
のは当然だ。(62P)
ようにするというやり方でやってきたんだな。(63P)
ということです」、「人はだれも愛される権利がある。そして愛されていないと思ったら、訴えることができる」
と言うんです。訴えることによって国家は、その人を愛される状態に戻されなければいけない。これが
憲法違反訴訟の神髄です。自分は愛されていないと思ったら、愛していない周りが悪いんだ。その周りの
仕組みを変えなさい。変えるのは国家の義務ですよ。こういう発想です。(64,65P)
・コスタリカの人は、そもそもなぜ私達の国は、これまで30%もの軍事費を割いてきたんだろうか。
これから10年後や50年後を考えたときに、軍事費に30%を割くことが本当にこの国の発展になる
のだろうか。いや、もっと違う発展の仕方があるんじゃないか。 と、考えたわけです。
その時の結論がこうです。「軍事じゃない。教育だ」、そして軍事費をそっくりそのまま教育費にまわしました。
その結果 小中高、そして公立大の教育は無償で受けられます。それで国民の10人に一人が
教師の免状を持つ国になりました。(69,70P)
・教育国家になったコスタリカが教育の現場で教えているのは“対話”です。物事を解決するのは、
武力じゃないんだ、対話なんだ、ということを小学低学年の時から学ぶんです。(72P)
しておりました。アリアスという当時のコスタリカの大統領が3つ国を訪ねまして、政府側とゲリラ側に
説いて回った。なんでこんな内戦なんかするんだ。身内が殺されて、そして経済的にまいってしまう。
こんなことして、なんのいいことがあるんだ。うちの国を見ろ。ずっと平和でやってきている。
そのお陰でこんなに繁栄している。 どっちがいいか。
こうして「対話による解決」を彼は説いて回った結果、この3つの国の内戦は終わりました。
この功績が評価されアリアス大統領は1987年度のノーベル平和賞を受賞しました(74P)
責任はなにか、義務は何かというと、自分の国の平和を維持するだけじゃなく、周りの国も平和に
することなんだ」と考えたわけです。(75P)
・コスタリカは平和国家なんだ。だから平和を広めるんだという姿勢を貫いてきた。
例えば、国連平和大学を作ろう、その敷地も建物も用意すると言って、国連に働きかけて国連平和
大学をつくった。それから広島・長崎で核実験反対決議を挙げようという動きがあると、すぐコスタリカ
が乗りだしていって国連への共同提案国になる。さらには、世界で初めて「地雷ゼロの国」を宣言した。
子供たち全員に無償教育を保障しました。
(78P)
*日本国憲法についても書かれてます。
・いいものをもらったら素直に喜んで使えばいい。「押しつけ」は嫌なものもらった時に使う言葉(99P)
・現行憲法は押し付けられたものだというような考えが政府によって国民に「押しつけられて」きた。
こなかった。 日本人って、大切なものを使わないですよね。博物館に行っても、お寺に行っても
国宝は金庫の中にあって見せない。見せないまま100年経って朽ちてしまう。そういう馬鹿なこと
だから、いらない」という発想になる。(101P)
を使って自分の人生が輝くものにしてきたか。そういう仕組みにしてないじゃないですか。
それでいながら”美しい国”と口だけで言っている。(102P)
・哲学者カントの『永遠の平和のために』
生まれたすべての人の夢です。(103P)
*この講演の質疑応答より
Q:コスタリカは世界でどんなふうに見られてるのでしょうか?
世界から平和の国と見られています。
ただコスタリカは経済的には力がないじゃないですか。したがって、彼らが何かいっても世の中は
変わらないぞ、とも見られています。
もし日本がコスタリカと同じようなことを国連の場でやれば、これは大きな力になる。世界の平和が
具体的に前進するでしょうね。(119P)
かたや憲法の理想をねじまげ、既成事実を作ってしまい理想の旗をそこまで引き下げることしか
考えず、理想実現への努力を放棄してきた自公政権
でもそんな政権を選んでしまったのは政治に無関心な私たち主権者だということを忘れてはいけませんよね。
69年目を迎えた「憲法記念日」にあたっての私の想いでした。(長文失礼)