まずは13:30~14:40まで毎月第2土曜日に定例開催してる「脱原発グリーン
パレードinはだの」を歩く会のミニデモ。
今回は、スタッフの多くが他のイベントのスタッフとして参加していたため、こちら
への参加は4名でしたので歩くのは止め、秦野駅周辺の主要交差点3ケ所と
秦野駅北口前でのスタンディングだけにしました。
次は文化会館で開かれている「平和パネル展」に顔を出しました。
これは昭和61年3月27日に制定された「秦野市平和都市宣言」に基づき、
振興課)が協働して「平和を考えるフォーラム」として、毎年 敗戦記念日近辺
に開催されてるものです。
会場内では広島原爆被害写真や劣化ウラン被害写真が展示され、原爆被害の
短編ビデオが定時に上映され、夏休みの小学生向けに「紙芝居」がボランテイア
の女性によって上演され、市内在住の戦前経験者中心に「戦争時代を語り合う会」が開かれてたので私も参加し先輩方の体験談を聞いてきました。
そして、広島原爆被害者の証言をCDで自由に聞けるコーナーも設置されてます。
(私は昨年聴きましたが、大変貴重な証言記録です)
特に今回からUさん発案の実物大の原爆写真が会場入り口に展示され
送ってもらい市の担当部門が拡大してくれたそうです。
その後、「平和行進出発式」が行われる、最近整備された「秦野市平和祈念
公園」に移動(画像)。
この公園は市内の各所に分散して建立されてた「忠魂碑」15基をここに集めて
新たに整備したそうです。
平和行進は今年からここで出発式を行い近くの文化会館広場で行われる
「ピースキャンドル会場」まで行進することにしたそうですが、挨拶した
どこやらの学校の校長先生の内容に問題あり!と思いました(画像)。
その校長は「平和の大切さを説いたのはいいんですが、この場所を秦野の
「忠魂碑」の言葉から私は、「お国の為に戦って死んでくれた魂を鎮める碑」
と理解してしまうんですよ。私の名前は忠彦で「お国ために忠義を尽くす男に
なれ」の意味だと親から聞いた覚えがあります。私と同年代の男性には
「忠」が付く人が多いと思いますよ。
ここに集められた「忠」の字を使った「碑」の起草者は○○大将、○○元帥
でした。
私に言わせれば、遺族の人たちが「国の政策によって無為に殺された人」の
霊を鎮め偲ぶための「慰霊碑」なら平和を考える拠点として納得出来るんですが
「忠魂碑」の前では、また「あんたたち、国が命令したら戦ってお国のために
死んでちょうだいね。そしたらここに祀ってあげるからね」と戦前に戻そう
としてるのかいな!と大きな疑問を感じました。
そして平和行進は文化会館前の広場に移動し、学童たちが準備した底部だけの
ペットボトルに水を入れ、そこに浮かべたローソクに点火しいろいろな形を作る
ピースキャンドルを開始しました。
この種火は広島平和公園の「平和の火」をランタンで送ってもらったそうです。
多くの人が種火からそれぞれに配布された点火棒(割り箸?)に分けてもらい、
数千個のペットボトル内のローソクに点火してました。花火と違い子供含めた
多くの参加者による共同作業です。
この催しは、暗くならないと「奇麗」な形が楽しめないのですが、x残念ながら
帰りのバスの関係で、すべてのペットボトルに点火した状態は確認できず
に帰りました。
とまあ、忙しい一日でしたが、「平和パネル展」でもらったプログラムの表紙の
言葉が、「その通り!」だと思いましたので紹介しておきます。
「平和はたゆまぬ努力によってのみ
築かれ 保たれる」