夜の騎士のあれこれ噺

世の中にはあれ?これ?と思うことがいっぱい。

交戦権ってどんな権利?

私が憲法九条の会・はだのの市民運動に関わらせてもらってから毎年「九条の会」が発行する
憲法カレンダーを購入してるんですが、このカレンダーの欄外にコラム的に記載されてる記事が
中々考えさせてくれんです。

今月の欄外コラムは「交戦権とは」の解説でした。

ちなみに「ウイキペディア」で交戦権を検索しみたら・・・
「交戦権という言葉は、国際法及び日本国憲法で使われてる概念である。
交戦権という言葉には厳密な定義は存在しない。」 と、ありました。

なんだって?厳密な定義は存在しない?

たしか国際法では原則として戦争は「違法化」されてるんじゃなかったの!

それなのに国同士が戦争するということは、その国が「交戦権」を都合のよい定義づけをしてるってこと?

日本国憲法  第二章  戦争の放棄の項目はこうなってます。

   前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
   国の交戦権は、これを認めない。

それに対して憲法カレンダーの欄外コラムでは・・・

 日本政府の解釈によると「交戦権とは、戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法
 有する種々の権利の総称であり、相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの機能を含む
 もの」となる。(しかし実際には多くの一般市民が殺傷されている)

 国連憲章では個別的または集団的自衛の権利が認められていることから、日本政府の解釈は
 「わが国が自衛権の行使として相手国兵力の殺傷と破壊を行う場合、それは交戦権の行使とは違う。
 ただし、相手国の領土の占領などは、自衛のための必要最小限度を超えるので、認められない」
 となっている。

さっと読んだだけでは、判断しにくい廻りくどい文章ですね。

きっと役人が知恵を絞って、一般国民にはワザと分かりにくい文章にしてるんでしょうね。

憲法カレンダーのこの欄外コラムの最後に、C・ダグラス・スミスさんが解りやすい定義が載ってます。

   *「交戦権」とは、国が戦場で人を殺し、財産を破壊する権利。
    (引用:戦争するってどんなこと  平凡社

   *C・ダグラス・スミス(1936~9  米の政治学者、評論家
    1960年に海兵隊員として沖縄に駐留、現在沖縄に在住して執筆活動

一人殺したら殺人罪で監獄に入れられ、10万人殺したら国から勲章が贈られる。という有名な
言葉の根拠はこれなんですね。

大量殺人、大量破壊できる権利を持つ「国」っていう集合体、いったいなんなんですかね?

国といっても実体があるわけではなく、結局人間の集合体なのにね。

あまけに大量殺人、大量破壊に戦争犯罪は勝者が敗者を裁くのみで戦勝国の責任はあやふや。

さきの戦争で広島・長崎の原爆投下による約30万人の一般市民の殺戮、東京大空襲による
約10万人の一般市民の無差別殺戮、唯一の地上戦、沖縄上陸作戦における軍民合計で約20
万人近い殺戮・・・

米を主体とした連合軍側の戦争による殺人・破壊の責任をだれかとったんでしょうか?
結局「交戦権行使」によって、戦勝国の戦争責任者はなんの痛みも感じず、罪に問われない
んですね。

「平和のための戦争」「自衛のための戦争「正義のための戦争」「いのちと暮らしを守る
ための戦争」権力者がかならず戦争する時につける「大義名分」ほど矛盾と欺瞞に満ちてる言葉は
ありません。

日本国憲法第9条の2項を「世界の常識」にする理想の旗は捨ててはいけないと思ってます。