焼失してしまい、独立国「琉球王国」の450年の歴史の象徴
を失った悲しみは深いと思います。何回か焼失しておりそのたびに
復元してるそうなので、今回も復元に向け進むことを願っております。
今回の焼失を契機に知ったのですが、首里城の地下には「大日本帝国陸軍」
の第32の司令部壕が延長約1000mにおよび現存してるそうですね。
私も約20年前位に息子夫婦と初孫の長女と沖縄に家族旅行で行ったとき
当然首里城も見学したのですが、32軍司令部壕の記憶は全然残ってません。
1944年(昭和19年)に編成された第32軍は、奄美群島から先島諸島を
守備範囲として連合軍の上陸に備え首里城の地下に大規模の地下壕を掘り
司令部を置いていました。32軍の作戦は当初は積極攻勢でしたが、第9師団
の台湾抽出後に「戦略持久」に切り替えました。1945年(昭和20年)
連合軍沖縄上陸後、32軍は5月4日に戦略持久を一転、総攻撃を実施した
ものの結果は惨憺たるもので終わりました。5月下旬に首里が陥落すると
南部の魔文仁へ撤退し、抵抗を続けるものの、6月23日未明、牛島満
軍司令官と長勇参謀長が自決し、軍としての組織的抵抗は終結
本土防衛の捨て石にされ20万人(内民間人の死者約94,000人)
戦争犠牲者を出し.、今また米国のいいなりに辺野古基地建設を強行する
☆動画 旧日本軍第32軍司令部調査(第5坑道) 9:57
https://www.youtube.com/watch?v=RVb6LYueS28
☆動画 第32軍司令部前にて 村田春樹さん 7:19
ボランティアらしい説明者村田さんがいい味
出してます。
https://www.youtube.com/watch?v=wn23juS9Ulk
これが戦争の真実! 24:02
https://www.youtube.com/watch?v=Mj0bvrO7w4I
。。