夜の騎士のあれこれ噺

世の中にはあれ?これ?と思うことがいっぱい。

映画上映会で「ハンナ・アーレント」を観る

秦野市は1986年3月27日に「平和都市宣言」をして「永遠の平和を希求し、愛する郷土を守り
次代へ引き継いでいくことにたゆまぬ努力を続ける」ことを誓いました。

その理念を具体化するため6年後の1992年4月に秦野の平和運動団体や個人が参加して「はだの・
平和都市宣言に集う会」が発足して秦野市と市民が協働して映画上映会、講演会、平和資料展示会
中央運動への参加などの平和事業を行ってきました。

この秦野市平和運動に早くから取り組んできた「はだの・平和都市宣言につどう会」の主要メンバー
の方は、憲法九条の会・はだの、脱原発グリーパレードinはだののメンバーとしても活躍されてます。

本日はその事業の一環としての「第37回 平和を考えるフィルムフォーラム」としての入場無料の
2本立ての映画上映会が秦野市民会館小ホール(収容約500名)開催されました。(諸経費は秦野市が負担)

午前中はペシャワール会中村哲医師の活動記録「アフガニスタン干ばつの大地に用水路を拓く~
治水技術7年の記録」(2012年 74分)ですが、ワタシはすでに観賞しこのブログの話題
にもしましたので(2015.12.11の記事)今回はスルーして、午後上映の「アンナ・ハーレント」
だけを観賞してきました。

この映画はアメリカに亡命したユダヤ人の政治哲学者のハンナ・アーレントさんが、ナチスユダヤ人虐殺の
ための移送を指揮したアドルフ・アイヒマンイスラエルの諜報組織モサドによって逃亡先のアルゼンチンで
逮捕され、その後のアイヒマン裁判の傍聴を続け、膨張記録をアメリカの雑誌ザ・ニューヨーカーに5回に
渡り掲載したレポートの中でユダヤ自治組織が(ユダヤ人評議会)の指導者が強制収容所移送に手を
貸したという記述が内外のユダヤ人社会から激しい誹謗・中傷の嵐を受けてしまいます。

その中傷や避難に対しハンナさんはこう訴えて信念を変えません。

「上からの命令に忠実に従うような小役人が、思考を放棄し、官僚組織の歯車になってしまうことで、
ホロコーストのような巨悪に加担してしまうこと。悪は狂信者や変質者によって生まれるものではなく、
ごく普通に生きてると思いこんでいる凡庸な一般人によって引き起こされし舞う事態を、ハンナさんは
悪の凡庸さと述べています」

この言葉を受けて「平和宣言に集う会」がプログラムに記してる次の内容が胸にグサリと刺さります。

   ・国内外に膨大な犠牲者を出したアジア・太平洋戦争の教訓をどう受け止めるのか?
   ・その反省の上に歓迎された「日本国憲法第九条」をどう活かしていくのか?
   ・広島・長崎に原爆を投下され現在も苦しむ被爆者が多く存在する日本が、核兵廃絶にどう関わっていくのか?
   ・NPT(核不拡散条約)体制を壊しかねない原発輸出を許していいのか?
   ・放射能被害を被害者の側に立って防ぐ手立てを講じてこれたのか・
   ・その究極は核兵器である抑止力はほんとうに必要なのだろうか?
   ・民生分野に限って培ってきた技術を武器製造に転換していいのか?
   ・ISとロシア軍、ISとアメリカ軍が同じ企業から武器を買う矛盾はどうするのか?
   ・70年間、戦闘で他国の人を殺すことなく、日本人が殺されることもなかった日本の誇りに
    終止符をつけてもいいのだろうか?
   ・きれいな水と緑、満腹によって得られる幸福を次世代へと繋いでいけるのか?

ハンナさんは「人間は考えることで強くなれる」と訴えます。

午後の部の挨拶にたったUさんが「この言葉の裏を返すと「考えない人はモロくなる」ということですね
と云ったことが心に残りました。ワタシは本当に考えているのか?人様の意見の受け売りをしてるだけ
ではないのか?

テレビ時代を見越して、故人となった評論家の「大宅壮一」さんが警鐘をならした言葉「一億総白○化」
が到来するようでは希望が持てません。実際「思考停止」に陥った日本人が増えてるような気がする
今日このごろです。

疑問を持って「情報」にあたることが、いつの時代にも必要であることを痛感させてくれた映画でした。

     ☆動画      映画「ハンナ・アーレント」予告編

            監督 マルガレーテ・フォン・トロック
            主演 バルバラ・スコヴァ

           https://www.youtube.com/watch?v=qnLQ9rNNHCk 2:02