ベストセラーになった「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」で、戦後の
日米外交の裏面に隠された密約により、米国の隷属国から日本が抜け出すことが
できないのか、抜け出すため方策はあるのかの問題提起本を出版した「矢部宏治」
さんの最新著作「日本はなぜ、『戦争ができる国』になったのか」を読み終わりました。
この本は戦後の日米外交史を条約、条約の裏で日米首脳によって合意された密約
の数々を丁寧に紹介しながら指揮権「戦争の脅威が生じたと米軍司令部が判断したときは、すべての日本の軍隊はアメリカ政府によって任命された最高司令官の統一指揮権のもとに置かれる」の密約に至る外交の経過と、それが現在でも生きている実態を暴いています。
矢部さんはこの本で、そこから抜け出す方法として、二つの国の成功例として憲法改正によって米軍を完全撤退させた「フィリピン・モデル」と、東西統一とEUの拡大によって国家主権を回復した「ドイツ・モデル」を見習って日本も真の独立を勝ち取れと、二つの国家の成功例を詳しく紹介してくれてます。 要は方法はあるんだと!あきらめるなと! 政治の「自己決定権」は自分たちにあるんだと!
この本で私が一番共鳴した矢部さんの九条改正(加憲)案を紹介しておきます。
矢部さんは前著で憲法改正の問題については、ストレートに「この条文を削除して
どちらかと云えば思想上の争いであった。戦後の体制に恨みをいだく信念としての
つまり「現行憲法の本文はそのまま残したうえで、修正条項を追加していく方法」を
提案してます。
この方式について江橋教授は・・・
の先祖が作ってきた歴史を削除することに他ならない、という認識がある」
「この方式には、かって自分たちの先祖が作ったすばらしい憲法は、基本的な
内容においてはいまも適切であるという自負もあらわれている。歴史的事実を
末梢しないという、歴史に対する責任の自覚もある」
漸進的な改正・改良に適している。また、条文の削除という、後ろ向きで、しかも
その条文を支持している市民グループの頑強な抵抗を引き起こさずにすむことも
大きい」
の苦心の産物であったことに気付かされた」と述べていることを紹介し、この考え方に「素直にそう思った」とする矢部さんが、下記の加憲型の「日本国憲法 九条」の修正案を提案されてます。
値する提案だと思いました。
日本国憲法 第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の
発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。(原文保持)
2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持
しない。国の交戦権は、これを認めない(原文保持)
(修正1条)国際連合による日本およびその周辺の平和と安全のための
措置が効力を生じるまで、敵の侵略を自国の施政下の領域内
において撃退するための最小限の軍事力と交戦権は保持する。
(修正2条)2025年以降、自国の領域内において外国軍基地、軍隊
および施設は許可しない。この改正された憲法の規定に反する
他国との取り決めはすべて破棄する。そのための憲法判断は
最高裁判所がおこなう。
許可しない。
矢部さんは憲法学者ではないので、加憲方式がベストなのか、まだまだ
検討する余地があると思いますが、有力な方式だとは思いました。
矢部さんはまた前著で日本憲法の悲劇について、このような問題提起をしてました。
「憲法についての日本の悲劇は、『悪く変える』つまり『人権を後退させよう』という
勢力と、『指一本ふれてはいけない』という勢力しかいないことです。『良く変える』
という当然の勢力がいない。(前著 186P)
この問題に対して、矢部さんなりの「処方箋」を提案してくれたのだと思います。
けれども、日本語は難しいし、官僚得意の「霞が関文学」を駆使すれば、残した
原文の解釈を180度変えられる追加条文の表現とか、使う用語、句読点の
位置ひとつ、「てにをは」に使い方ひとつで、でいろいろな解釈が可能な条文を入れられてしまう危険性も含んでますので、諸手をあげて賛成はできませんが、市民運動グループとしても、今後検討してみる価値は、ある提案じゃないでしょうか。