夜の騎士のあれこれ噺

世の中にはあれ?これ?と思うことがいっぱい。

ハートに突き刺さった言葉

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辺野古基地建設に抗議するため、沖縄に十数回
訪れ現地の人と一緒に阻止活動に参加してる
憲法九条の会・はだのスタッフのOさん(現在も沖縄
訪問中)から勧められて作家の辺見庸さんと芥川賞
作家の日取真俊(めどるま しゅん)さんの対談本
「沖縄と国家」(画像)を読み始めたところですが
私のハートにグイと食い込む言葉に出くわしました。

 ☆「沖縄と国家」61~62Pより引用
目取真-日米安保に反対したら、目の前の米軍基地にも反対しないとおかしい。憲法九条は条文の解釈を
めぐる問題で、具体的に形のある対象に反対する
ものではないですから、口で唱えるだけでもいいわけ
です。辺野古みたいに米軍基地の前で機動隊に
ぶん殴られて毎日排除されるのはとてもきつい
ですよ。だけど、憲法九条で集会開いてですね。
お互いに護憲を確認してるぶんには,痛くも何とも..
ないわけです。.

この十数年で、九条の会が全国に雨後のたけのこ
のように出来て、何千という組織が広がっていくんだ
けれど、私から見ると、意図的に平和運動の軸を
日米安保反対から九条擁護にずらしていった.ような
気がするわけです。

日米安保に触れなければ米軍基地に反対する必要
もなく、護憲だけ唱えて楽な平和運動ができる。
それで自分たちも平和運動に参加して、社会的な
役割を果たしている気持ちになれますからね。でも
それは沖縄が置かれている状況とは全く乖離して
いる。このズレっていうのはずっと以前から感じて
います。

日米安保抜きの憲法九条擁護など欺瞞でしかないと思いますけどね。

辺見ーホンドでは日米安保によってこの国が助け
られてると考える安保受益論が、かってより激増
している。中国の海洋進出、北朝鮮の核、弾道ミサ
イルの動きに直接反応するかたちで、安保は「必要悪」
どころか「必要善」になりつるあるのではないか。

いずれの場合にも沖縄の人びとは視座にない。
                  ~引用終わり~

目取真さんが思ってる九条の会の活動の生ぬるさ
に対する怒りのような気持ちは、ホンドに基地を誘致
せよ声をあげる自治体がないことへの結縄県民の不満にも繋がっているんでしょう。

沖縄県に米軍基地の70%押しつけて、自分たちは
楽な平和運動で「米軍基地反対」なんか唱えてないで、自分が住んでる自治体に米軍基地を誘致しろくらいのデモをしてちょうだいくらいの気持ちなんでしょうね。

でも、フーテンのとらさんのセリフじゃないですけど
「それを言っちゃあ、おしまいよ!」と思われる
危険性もありますよ。

正直「わが身をつねって、人の痛さを知れ」という通り沖縄県民のみなさんの痛さを感じる現場で活動したいのはヤマヤマですけど、年金生活者としては時間は
充分あるけど、経済的・身体的な制限もありますからね~。目取真さん、「何もしてないよりはマシ」くらいな
広い心でみてくださいな。

   ☆動画  目取真 俊 インタビュー  55:28