今、売れてるらしいので近代歴史研究の半藤一利さん著の
「歴史と戦争」を読み始め半分くらいきたところです。
帯にある「歴史に学ぶことは、なぜこんなに難しいのか?」の
さんの80冊以上の著作から厳選したエッセンスを抜き出して
1冊にまとめた本です。
時にユーモアを交えながら、近代歴史上の事件に半藤さんの
解釈をしてるワケですが短い文章なのでスイスイ読めます。
半分読んだところで、気に入った3つを紹介しましょう。
☆国連(国際連盟)脱退の国民気分(P48)
人間は生まれながらにして楽観的な気分が備えられているの
ではないか。と思えてくる。何か前途に暗い不吉なものを感じ警告
されていても、「当分は大丈夫」と思い込む。楽しくていいニュースは
積極的に取り込むが、悪いニュースにはあまり関心を払わない、
注意を向けない、というよりも消極的にうけとめ、やがてこれを拒否する。・・・民草は国策がどんどんおかしくなっているのに気づこうとは
しない。いや、気づきたくなかったのか。それがどうしてなのかを
理解することは難しい。いや、表面的にはともかく、不気味に大きくなる
暗雲に、人々は恐れ戦きつつも、「いや、まだ十分に時間がある」と
思いたがっているゆえの平穏であったのであろう。
(B面昭和史)
☆ノハンモン敗戦のあとで参謀は(P70)
参謀にはお咎めなし、というのは陸軍の伝統なんですね。
連隊長はほとんどが戦死か自決。事件後、軍司令官や師団長は
を去りますが、参謀たちは少しのあいだ左遷されただけで罪は
問われませんでした。服部は、昭和14年9月の停戦協定から
として、ですよ。翌16年7月には作戦課長に昇進して8月には大佐に昇進。「昭和の名将と愚将」(保阪正康氏との対談で)
☆ノハンモンから今につづくもの(P71)
ノハンモン事件から何を学べるかと聞かれたら、私は5つあると
答えています。「当時の陸軍のエリートたちが根拠なき自己過信を
持っていた」「驕慢なる無知であった」「エリート意識と出世欲が横溢
していた」「偏差値優等生の困った小さな集団が天下を取っていた」、
「底知れず無責任であった」。
これは今でも続いている。「世界史としての日本史」(出口治明氏
との対談で)
まさに、歴史に学ぶことは、なぜこんなに
難しいのか?と考えてしまいますね!
(本日、私のPCトラブルお助けマンの義弟に電話して、見事に
復元しました)