夜の騎士のあれこれ噺

世の中にはあれ?これ?と思うことがいっぱい。

「民」という字の成り立ちが怖い!

ふだんメデイアも政府も官僚も我々もなにげに使ってる「国民」「人民」「庶民」の「民」という漢字。

象形文字ですがその成り立ちには怖~いもんがあるんです。

  ☆権力によって片目を針で刺されたつぶれてしまった奴隷を表す象形が変化して
   「民」という字になったんです。

   のちに 目の見えない人のように物のわからない多くの人々、権力の支配下に置かれる人々を
   「民」と呼ぶようになったそうです。

はて? 現代は権力によって、針で目を刺されてつぶされるようなことはありません。

大概の人はしっかり「両目」を開いた状態で一生を送れます。

けどね、政府とメデイア、官僚に騙されて、民の成り立ち時代の「国民」「人民」になってる可能性は
ありませんか?


昨日、本日と秦野市議選挙で奮闘中のN女史の「個人演説会」にいってきました。

冒頭N女史が発言してましたけど、ちょっと前まで選挙というと「立会演説会」というのがあって、各候補者
の所信が語れる場を選管がセットしてたんですが、これがいつの間にか開かれなくなってしまったと。

34人の立候補者(定数24名)は選挙カーで名前を連呼し「明るい秦野を作ります」とか「元気な秦野は
ワタシに任せてください」と抽象的なスローガンを繰り返すばかりで「どうやって」は個人演説会等で
内容を説明すべきと思うのですが、選管に問い合わせたら、個人演説会を企画してる候補者はほとんどいない
ようなニュアンスだった。選挙公報、ポスターはあるものの、これだけではその候補者が今後4年間で
なにをやりたいのかが解らない。結局、地縁、血縁、組織のつながりで投票することになってしまう。

アタシはまずこうした市議選のありかたから変えていきたいと切り出してました。

それには市民が政治無関心から脱却して立会演説会に積極的に聴きに行くほど政治参加意識が
高まらないと、いつまでたっても両目はあいてるのに物の実態が見えない「国民」のままで
いることになってしまいますよね。

ただ本日うれしかったのが男子高校生が2名だけど聴きにきてくれて、後半の市民からの意見
要望・感想・思いのところで「わたしは○○高校のだれのだれべえですと名前を名乗ったうえ、
来年から選挙権が得られるようになったんで演説会を聞きにきました」といって二人とも
実にしっかりした意見を云ってました。たった二人ですが高齢者が多い個人演説会に高校生が
来て、借り物ではない自分の見方、意見を堂々との述べたことに「あ~、時代がおかしくなれば
こうゆう素晴らしい若者が生まれてくるんだ」と明るい希望を感じさせてくれました。

まず選挙の投票率80%を超えたら間違いなく秦野市民が投票率日本一の称号が得られるんです。
秦野市民がその気になればできる数字ですよ。その気になればね。期日前投票不在者投票制度もあるし、
投票日にちょっとの時間を割いて「投票所」に行けばいいんですから・・・

ところが、これがホントに難しい!

早く、「民」から脱却して「ひと」を表す新しい漢字を考えたいですね。

   ☆漢字「民」の成り立ち

      http://okjiten.jp/kanji720.html