本日は、月2回の秦野カルチャーの「論語を楽しむ」講座の2回目(全6回)の
受講日でした。巻第一の「学而(がくじ)第一」)と巻第二の「為政(いせい)
第二」の説明でした。なにせ、なにを聞いても左の耳から入っても3秒も脳の中
に留まらない内に右の耳から出て行ってしまう老化ぶりなので、印象に残った
のは現在でも使われることがある「切磋琢磨(せっさたくま)」と「温故知新」
と「お稽古」の関係です。.
まず、「玉も磨けば光るまいに」の意味に考えていた「切磋琢磨」ですが、
学而篇の15に弟子の子貢とのやりとりの中で、子貢が詩経(中国最古の詩篇~
周の時代に創られたので周詩と呼ばれる)の『切るが如く、磋(す)るが
如く、琢(う)つが如く、磨くが如く』を引用した質問に、孔子が応えてる
論語があるんですね。この論語の切磋琢磨のことばに注釈があって.「切(せつ)
は骨、磋は象牙、琢は玉、磨は石をみがくこと」で切磋琢磨は学問修養に励む.
.意味になったそうです。さすが三千有余年の歴史を誇る中國ですね。いまから
2500年前に活躍した孔子の時代にすでに「切磋琢磨」を説いた古典があった
ということに驚かされました。それと「切磋琢磨」の切、磋、、琢、磨、の
それぞれの「漢字」の意味することも解りましたし。
それから為政の11温故知新の項に書かれている、「(意訳)先生(孔子)が
いわれた、「古いことに習熟してさらに新しいこともわきまえて.ゆくなら、
人の師になれる」の項で講師が「古きを知ることの大切さ」を縷々説明
した中で「お稽古」という言葉も.温故知新に由来しているという説明が
あったので、その場でネット検索してみたら、「稽古は『書経』尚書/尭典等の
中国古典籍にあることばである。日本では『古事記』太安万侶序文末に「稽古」
があり、その意味は,古(いにしえ)を稽(かむがへ)ることであるとあり
ますので、日本でも稽古してその道で上達するには、まず古きをしっかり学んで
から、新しいことに臨みなさいということが学習の基本とされていたんですね。
稽古が日本でそんなに古くから使われていた言葉だとは知りませんでした。
ただ講師からは.、現在はすぐスマホの検索やコピペで済んでしまうので、
そこは考える必要がありそうですね。と注意されてしまされいましたけど。