夜の騎士のあれこれ噺

世の中にはあれ?これ?と思うことがいっぱい。

長周新聞コラム「民主主義への挑戦」というすり替え

長周新聞は1955年創刊された下関が本社の地方新聞で

週3回(隔日)発行されています。

 

いかなる権威に対しても、書けない記事は一行もないことを

標榜している人民の言論機関として、既存大手新聞社が政権に

忖度して「提灯記事」しか報道していないことに対し、正当な

ジャーナリズム精神を失っていない新聞として人気があります。

 

その新聞の「狙撃兵」というコラムが今回の,安倍元首相の暗殺に

ついて「民主主義への挑戦」と政府や巨大メデイアが報じているのは

「すり替え」だとする記事を掲載しており、私もその内容に

同意しているので抜粋掲載させてもらいます。

 

★長周新聞コラム「狙撃兵」より抜粋(2022年7月11号)

いかに政治的主張が異なろうと、殺傷すなわち暴力によって相手を封殺

するというようなことがあってはならない。政治とは言論勝負であり、

いかなる立場であろうと言論によって主義主張を正々堂々と唱えることは

保証されねばならない。新聞もしかり。言論こそが武器であり、

でかい図体をして忖度ばかりしている巨大メデイアがほとんどとは言え、

小さくとも言いたいことをあからさまに言い、自由に書きたいことを

書き連ねるスタイルを貫いている媒体だってある。

 

ただ、今回の場合、伊藤博文犬養毅など明確な政治的意図をもって

殺害された首相と違って、よくわからない動機によっていきなり元首相が

殺害されるという前代未聞の出来事である。一部で取り沙汰されて

いるように統一教会とその分派による内輪もめがかかわっていると

いうのが事実であれば、なぜ元首相ともあろう者が射殺されるまでの

事態に至ったのか、その関係性や過激な宗教組織の事実解明にも

踏みこまなければ、ただ「民主主義への挑戦・冒涜だ」だけを唱えて

いても話は明後日の方向にすれ違って,頓珍漢なように思う。

 

「特定の宗教団体の幹部を狙っていた」の供述からも伺えるように、動機

が宗教がらみの怨念であるなら、その絡んだ糸をひも解かねば全容解明には

ならないのである。岸信介が設立にかかわったとも言われる新興宗教団体

と政治家・安倍晋三界隈の関係性を洞察することなく「民主主義への挑戦」

に話をすり替えていたのでは、事件の動機や背景に迫ることなど

できないのである。

 

「民主主義への挑戦・冒涜」という点で言えば、それこそ安倍政権の8年

とは、まさに民主主義への挑戦と冒涜、否定の連続であった。国会で

118回も虚偽答弁をしたり、挙げ句に公文書を書き換えたり、国有地

をお友達にタダ同然で払い下げたり、モリカケ桜等々、為政者の好き勝手が

なんでもありでまかり通り、それに対して是正するチカラが機能せず、

三権分立の建前などあってないような日本社会のぶっ壊れた姿が露呈してきた。

法治国家としての体を為さず、権力を握った為政者がなんのためらいもなく

公共を私物化し、公共トップを睨み効かせる地位にすげることで司法も

警察権力もメデイアも抑え,その度に問題にはなるが嘘と誤魔化しに

よってすり抜けてた8年だったと言える。あまりにもやり過ぎで、これが

亡くなったからと民主主義の象徴みたく「英雄視」することなどできない。

なぜなら、事実にも反するからである。

 

「言論封殺だ!」とことさら巨大メデイアが大合唱している光景を見ていて

思うのは、すでに自ら口を閉ざしておいて、なにおかいわんやなのである。

暴力によって弾圧される云々以前、金銭的な圧力に屈して見ざる聞かざる

言わざるをしているくせに、いまさら「言論封殺だ!」「民主主義への

挑戦」と叫んでいる姿は滑稽ですらある。なぜか?すでに暴力に屈する

よりも以前にカネに目がくらんで自己封殺しているからである。

 

安倍元首相が狙われたのは宗教邸怨念であることは疑いなさそうだし、

「民主主義」云々とはまるで別問題であろう。その特異な政治的つながりや

政教分離の現実についてえぐっていくことこそがジャーナリズムの仕事

だろ思う。